AKK ニューズ・レター 第73号
2016年9月1日
アデイクシヨン問惠を考えよう会。かがわ(AKK)
代表 後藤見知子
2016年7月16日(土)午後、高松市の男女共同参画センターにおいて、AKK主催の映画試写会を開催いたしました。作品は米国映画「陽だまりのグラウンド」。参加者 は30名でした。
「ひとぐすり」
主演はキアヌ・リーブス。ギャンブルと酒に溺れた主人公が、スポーツ賭博で莫大な借金を抱え、遂には自分ではどうしようもないところまで追い込まれていく。かつての友人に助けを求めると、少年たちの野球チームの監督業を引き受けるならば、資金を融通しようとの提案を受ける。ところがその野球チームとは地元のスラム街に住む貧しい黒人の少年野球チームであった.最初は、強い抵抗感を抱き、しぶしぶとながら引き受けたので、 監督業もいいかげんなものであった。だが少年たちの置かれた劣悪な環境というものを知ることで、主人公にしだいに共感の念が芽生えてくる。
特に私が感動したシーンは、少年たちが生活するアパートでは、ほぼすべての家庭が床にじかに座って生活していた。そういう習慣のない主人公が「なぜだ?」と質問すると、「窓からいつ銃弾が飛び込んでくるかわからないから、僕等はみんな窓より低いスペース で生活するんだ」と答える。この現実が主人公の心に深く刻み込まれ、監督業というものにやりがいを見いだしていく。
最初は弱小チームでありながらも、主人公の熱心なコーチングにより、リーグ選でも上位のチームを脅かす存在になっていく。相手チームの監督の嫌がらせを受けながらも、それをものともせず一進一退の攻防を繰り広げる。やがて少年たちの野球に対する純粋な姿勢に接するにつれ、主人公の心に自分は何と自堕落な生活を続けていたんだとの反省心が芽生えはじめ、ギャンブル生活から足を洗う決意を固める。
そしてリーグ最終戦。この試合に勝利すれば優勝、そして地区の選手権へと駒を進めることができる。チームのなかに年齢が達していないがゆえに、また小柄で非力なゆえに、レギュラーから外れていた少年がいた。でも野球に対する思いは誰にも負けない。試合の 最後にその少年に代打のチャンスが巡ってくる。ここでヒットを打てばサヨナラゲームで勝利することができる。結果は見事ヒットを放ち、少年のチームはサヨナラ勝ち。だが試合からの帰途、その少年は地元の青年グループの銃撃戦に巻き込まれて、命を落とす。少年の葬儀の席上、主人公は少年たちのおかげで自分がまっとうな人間に戻れたという思いを強くする。そしてギャンブルを断ちつづけることを強く誓う。
現代の優れた医学を持ってしても、アディクションに対する特効薬はない。アルコールやギャンブルなどアディクションに対しては、自ら気づき、自ら辛抱して断ち切っていくしか方法がない。ただしいていえば「ひとぐすり」があるくらいなものである。 映画の中でも、主人公は少年たちとの出会い、ふれあいのなかで、自らの愚かさに気づき、ギャンブルを断つきっかけをもらった。つまり他人がいなければギャンブルの愚かさ には気づけなかったであろう。他人がいたからこそ、さらに言えばその他人と深い人間関係を築けたからこそ、ギャンブル地獄から脱するきっかけをもらえたのである。
だからこそアディクションからの回復には、自助グループが不可欠だと言えるのではないだろうか。アルコールにはAAや断酒会、ギャンブルにはGA、そしてありとあらゆるアディクションにはそれに対応した自助クループがある。そこには同じ体験を持つ仲間が おり、体験談を語ってくれる。アディクションで苦しんだり、悩んだりしていたのは自分ひとりではなかったのだと気づかせてくれる。そして日々の生活のなかでアディクションから脱していく希望と勇気と活力を与えてくれる。人と人とが出会うことで、そこには予期することのできない絶妙な化学反応が生じるのである。
今では、アディクションだけではなく、ありとあらゆる病気に対し自助グループの効果を試そうという動きが出始めている。たとえばガン、自助や自己責任を重んじる米国では ガンの部位の数だけその自助グループが組織されていると聞く。「ひとぐすり」とは、古いようで新しい、古典的でありながら最も先進的な治療方法であり、周回遅れのトップランナーとして21世紀は再び[ひとぐすり」の時代になるのかもしれない。(福家啓之)
今後の予定
◎高松市民フェスティバル
場所 高松市男女共同参画センター
期間 2016年11月26日(土)〜12月4日(日)
内容 AKKのブースを設けて、いろいろな催し物をしようと思ってます。
料金 無料
※今後も、タイムリーな企画やセミナーを催していきたいと思ってますので、
AKKの応援、よろしくお願いいたします。
|