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AKK ニューズ・レター 第68号

2012年7月1日

アデイクシヨン問惠を考えよう会。かがわ(AKK)

代表 後藤見知子

 飲酒運転は、なぜなくならないのか?

 不謹慎なことだが、酒気帯び運転で人身事故を起こしたことがある。今から20年ほど前のことだ。
 自らの体験から思うに、酒が体内に入っていると、まず注意力がゆるみ、判断力が低下し、そして行動が遅れる。だから車を運転していると、前方の人を発見するのが遅れ、咄嗟の判断ができずに、さらにブレーキをかける行動が遅れてしまい、結果的に人身事故につながってしまう。
 新聞の社会面に、「飲酒運転がばれるのが怖くなって、逃げた」とひき逃げ犯人のコメントが時々載っているが、あの気分がよくわかる。私自身、実際に怖くなって逃げ出したくなった。
 いかなる事故でも、酒を飲んでいる以上、100%加害者の立場にある。にもかかわらず、「なぜ私の運転する車のまえに飛び出してくるのか?」などと、100%被害者のような心境になっていたのを、今でも覚えている。
 実際、事故の被害者が出血し、路上に倒れている。すぐに止血などの手当てなどもしなければならないのだが、事の重大さに恐れおののき、呆然としてその場に立ちすくむだけで、何もできなかった。事故を発見し、次々と止まってくれる後続の車の人たちに、警察への連絡から救急車の手配まで、すべてお世話にならなければならなかった。誠に申し訳ないことである。
 アルコール依存症の場合、アルコールからの離脱が難しいため、車を運転する以上、飲酒運転は不可欠の行動になってしまう。だから飲酒運転を避けるためには、酒を断つか、車の運転を止めるか、どちらかを選ばなければならない。私の場合、車の運転のほうを選び酒を断った。ひとりでの断酒は至難の業であるため、結局、地元の断酒会を頼ることになった。
 ただわからないのは、アルコール依存症とはどう見ても無縁な人たちの飲酒運転が、なぜなくならないかということである。

 これは、ドイツの精神分析医フロイドの説を参考にすると、わかりやすい。ご存じのようにフロイドは性悪説の立場に立っている。人間は皆元々悪人であるという説である。
 自由にさせておけば何をしでかすかわからない、だからこそ神、法、道徳、社会的規範といったものを人間は便宜上編みだした|といった論理である。これらの装置を総合してフロイドは超自我(スーパーエゴ)と呼んだ。実際にフロイドは、人間の基本的な欲望と、これら超自我(スーパーエゴ)との葛藤を、治療の対象としたのではなかったか?
 アルコールを飲むということは、この超自我(スーパーエゴ)からの抑圧を少しゆるめる働きがある。だから悪いとは知りながら、ついつい飲酒運転をしてしまう。教職にある人、警察官、公務員などの飲酒運転が後を絶たないのは、このためである。
 国は罰則を強化することで、つまり超自我(スーパーエゴ)を強めることで〈飲酒運転に対応しようとしている。実際、飲酒運転の検挙率も減ってきているようである。だが、この世にアルコールが存在する限り、飲酒運転はなくならない。飲酒運転をなくそうと思えば、アルコールか車か、どちらかをこの世からなくさなければならない。
 ただ、アルコールを飲むことで、超自我(スーパーエゴ)がゆるんでしまう意志薄弱な人は、やはりアルコールを飲むべきでない。遅かれ早かれ、いずれ飲酒運転で事枚をひき起こす可能性を秘めている。もはやアルコール依存症の予備軍に片足を入れている人たちかもしれない。早めに断酒するほうが得策である。
 飲酒運転を起こしてしまった人たちに、断酒会やAAのプログラムを義務づけるという方策は、どうであろうか? 自らの病理に気づき、断酒を果たす人が出てこないとも限らない。警察にとっても飲酒運転を減らせるし、断酒会やAAなど自助グループにとってはメンバーの掘り起こしにつながることになる。一挙両得と思うのだが、どうであろうか?
(香川県断酒会会員)


※今後のイベントの紹介
平成24年11月17日仕)13:30〜16:00
 レクチャー「アディクションに走る若者たち」
  講師徳島県藍里病院副院長 吉田精次先生
  場所高松テルサ
  (レクチャー後、質疑応答をしていただきます)
アディクションに関心をお持ちの方の、ふるってのご参加をお待ちしています。
(参加費 700円)